渡るネットは嘘ばかり

元文系、米国大学院CS修士号持ちITエンジニア。自称エンジニアが撒き散らすゴミを少しでもキレイにしたい

安全より安心の国、NIPPON

お久しぶりマンがやってまいりました。
エンジニアリング記事はnoteで書いているのでそちらへどうぞ。

一昔前、プログラミングスクールのポジショントークで大学でコンピューターサイエンス学んでもプログラミング書けるようにはならないというのが流行ったのもあり、某大学のスライドを元に大学1年の最初に取る授業でこれくらいはやりまっせ、というのを最近書いてたりしてます。

技術情報はここではあんまり書いていませんでしたが、向こうでは最低限データ構造とかアルゴリズム、コンピュータグラフィックス周りの海外の授業をベースにした連載記事も書こうと思ってます。CS概要ではコード周りはわかる前提で最小限のスニペットと基礎知識の補完的な内容ですが、この辺はコードもちゃんと書いて説明する予定です。プログラミングが面白そうだと思って業界に入って来た人達が金儲けのプログラミングスクールが量産したコードモンキー(アーキテクチャや設計などにかかわらずただコードを書く人)にならないために知っておいて欲しいことをつめていきたいと思っているので、興味があればどうぞ。

ちなみに、コメントは励みになるかも知れませんが、暗闇からバールのような暴言を投げつける覆面バールマンがネット上には群生しているので、コメント拒否するために課金してます。無駄なストレス貯めても仕方ない。noteのXXXXなとこです。その月にサポートあったら500円抜く、とかにしたらもっと書く人増えるだろうに。ついでにサポートもできますので、気が向いたらどうそ。執筆の励みになります。ありがたいことに、今のところ2年分の会費(月500円)は頂けたので2年は続けようかと。

某社の技術書の読者モニターとかもやってたり、なかなか時間取れてないから月1更新になってますが…。まぁ、金儲けという気持ちではないので基本全ての記事は無料です。頂いたサポートは会費にストックしたり、技術書を読んで記事で還元できれば、と思ってたりします。


というわけでCM明け、本題です。
最近技術記事が多かったので小ネタあまり投げ込めず、まぁ、雑に投げ込んでいきます。

コロナ終わるのか?

やっと流行り病の特別扱いが終わりそうですね。
ここでも書いた通り、初期の頃から死者の平均年齢が平均寿命と大差なく、去年位からは大半の人には鼻水と咳の出る恐怖の感染症と化していました。個人的には富士急でほとんど並ばずに全部制覇して、むしろ1部の絶叫マシンは2回乗って、レストランで酒飲んで帰ったりお得タイムもあって満喫しましたが、家電量販店で一人でいる時に正義マンにマスク強要されたり気分の悪いこともありました。5類で赤の他人の目を気にしない人が多少は増えそうですが、自分の"不安"の解消に赤の他人に行動を要求してくる(やって)クレクレ君はどうなることか。

個人の判断基準

「マスクは個人の判断」、とか推奨は半強制なのでしょうか?そいつら証券会社の推奨銘柄はルールとして買うのでしょうか?募金のお願いされたらルールとして払うのでしょうか?絶対せんやろ。推奨でも自分の意思で取捨選択するのが当然の姿。

しかし、意味不明なことに、この「他のお客様の”安心”のため」とかデパートなんかでたまに言っちゃってるマスクは守るのに、安全のための「エスカレータ歩くな」、は守らないのが日本人です。すれ違うとき擦れていく人とかいるけどさ、高齢者の服のボタンにカバンの紐が引っかかったりしたら大事故ですよ?邪魔だよ、でかすってんのかも知れないけど、だから歩くべきじゃないんだよ、という話で。「急いでるんで」は理由にならないですよね。急いでたら他人が怪我する危険性を高めていいのか?と。そもそも急ぐ理由はあなたのスケジューリングの不手際か時間に対するだらしなさで、それに赤の他人を巻き込むべきではない。突然破水して産まれそう!とか本当にどうしようもない場合(破水しながら人どけて歩けないような)はあるだろうけど、基本は自分がだらしないのに他人を巻き込んで何かを強制するのはおかしいと思ってよい。それはマッチポンプに他人を巻き込んでる放火魔です。そういうのを身勝手と呼ぶのです。

僕は安全のためは基本的に守りますが、安心のためは相手次第です。神経質な〇〇のために行動はしません。そいつらの不安の解消に公園から遊具がなくなったり、子供が公園で元気に遊んだら怒鳴り込まれたり。complainerの要求はとどまることを知らないので甘やかしてモンスターを作るべきじゃない。心の不安定なそういうDQNに阿る、そんな世の中じゃポイズン。

感染リスクは変わらない、と言うのは正解だけど、5類は感染リスクの問題じゃなくて、重症化リスクが下がったから、なわけで、重症化リスクが低くなって、かかっても大半は1,2日寝れば治るか気づきすらしない、つまりただの風邪というか風邪以下になりつつあるわけで。感染リスクはずっと変わらないかも知れないから、そんなもの判定基準にしてたら、かかって誰一人症状出ない弱毒化してもマスク付けて、入院させて、濃厚接触者さえ休ませ続けるの?という話。むしろ弱毒化すると感染力あがるという話なので、脅威がなくなるほどに警戒するというねじれた世界線の住人なわけで。優先順位が付けられない日本人らしいお話。

実際のところ、ここが全てであり、議論がアホくさいわけで、もはやリスクとして"国民全体を巻き込んで対策すべきリスクでない"というのを5類移行を決めた時点の情報で判断できるということです。先の日程で5類とマスク原則不要が設定されたのは店舗や自治体がルール等決定して準備する期間と言うわけで、ぶっちゃけ一般人は翌日からその方針でも問題ないという判断なわけです。既に、その時点の情報で問題ないわけで未来の予測から、ではないし、この国は将来の予測で決定できないでしょう。できたら、主要国がとっくにコロナ禍抜けた中こんなに引きずってないわけで。にもかかわらず「まだリスクがあるから」と言っても、それでかかったらなんなん?と言う話です。足をくじくからも知れないから走るスポーツはやらせない、と言ってるようだ。小学校の校庭で高さ100mの網を作っても大谷みたいなのが超えてくるかも知れないから天井も全て囲え、とかね。

むしろ空気の流れが遮られ滞留したりする原因になるアクリル板を未だに使ったり、推奨する自治体があったり、接触感染がほぼないと言われてる中でデパートの出入り両方でアルコール消毒して手を痛めつけたり。個人の判断どころか推奨される対策すら間違っていることも多い。ビニール手袋は細菌やウイルスがむしろ溜まりかねないのに、これも安心ですよね。ウイルス見えてんの?という話で、見えない世界のことに見える安心を望むとかよくわかんないです。

「世論は間違える」は大正解で世論誘導してるのが左巻きマスゴミなわけで、そりゃ間違えるでしょ。与党に関する悪意のある切り取りひどすぎるよね。そんで日本にある中国の海外警察署に場所を提供する松下新平議員には触れない。需要足りなくてデフレでじり貧の不況だったのに、需要減らす利上げを"市場機能正常化の為"求めるとかね。貯金に利上げはメリットとか、金貯めこむからデフレマインドで金が回らず物価も賃金も上がらないのに貯めこみにメリット作ってどうすんだ、という。日銀は政府の子会社(過半数の株主)で、政府の資金調達で子会社の行動を責めてもね。そもそも日銀のミッションは物価目標の達成であって債権市場の安定化じゃないですね。歪んだ政権による利権構造を許すな!とか言いながら弱者を盾に公金チューチューしたり極左暴力集団と協力してたり。

コロナ禍で病院はコロナ前の平均3.86億円の赤字が平均7億円の黒字に転換してたり。おかしな世論の裏には世論を誘導して儲かってる人達がいたりするので、個人の判断は言われなくてもすべきで、「推奨」だってとっくに個人の判断で否の判断をしてもよいものです。その空床だらけでぼろ儲けした大先生が今後も混雑した電車等では~とか言ってるのもスポンサー?と思ってしまう僕です。日本が停滞しても自分が儲かればいいという人は想像以上にいます。

マスクは現実世界で効くの?

コクランレビューという国際的なメタ解析を含め、ネガティブな評価のメタ解析もある中、強硬にマスクは効果がある、の主張がされ続けたのがこの国ですが、理屈と現実が違うことはよくあります。自分には激辛の担々麺を美味い美味い、全然辛くない、と食べる人もいます。いや、むしろ僕は辛党なので呆れられる側ですが。結局感覚ベースだとバイアスかかりがちです。

マスクは当然誰も感染してないとこでしても無駄です。逆にほとんどの人が感染してても無駄です。結構受精の仕組みと勘違いしてる人が多い気がしますが、ウイルスが少しでも奥に侵入すると感染するとかでなく、免疫を上回る量が増殖してしまうと感染するわけで、たとえマスクが〇%ウイルスを減らすとしても減らしても余裕で感染する量蔓延したら意味ないわけで。

コロナ禍初期だけ信用してた岩田健太郎先生がそんなことを言ってて、なるほど、中程度なら効くのは納得いくなぁ、と思ったけど、第何波か大流行というか、いっぱい数えた時、田舎でも地方都市でも大都会でも、それぞれの規模で中規模で収まらず爆発してたのを見ると、規模関係なく効いて無くない?誤差じゃない?としか思えないし、自分がほぼ強制のところ以外マスクしてませんが、感染していないという。元々人混み嫌いで避けたり、パーソナルスペース広めで近づいてくる人がいたら距離取ってたけど、熱が出ていよいよ来たか、と思ったものの、コロナもインフルも陰性でした。2週間くらいぐったりでした。コロナの方がマシだった気がする。ワクチンでは2回打って両方2日ほど休み38.5℃出てて、ワクチンの方が寝込む日にち多いのでは?と思ったり。まぁ、僕は自分がエビデンスみたいなサンプル数1の主張はしません(結構外れ値側の人だし)が、ド田舎でたまに都心来る程度の人がマスクなしでもかからない、と主張するよりはマシでしょう。と言っても人込み嫌いなので、混んでる店や混んでる車両は避けて行動してますが。出口に1分早く着くために出口に近い混雑した車両に30分乗れる人の感覚がわからない。

感染してる側がマスク外したら感染するなら大流行時飲食店では基本的にほとんどの客(食事してはマスク付けて、と口拭くナプキンのごとくマスクを使う人…しかも一部はその口拭きを付けて帰る…以外)がノーマスクで注文するわけで、タブレット式でなければ店員はほぼ全員感染してもおかしくないけど、感染者大杉で休店してるのを2022年はほぼ見てない気がします。ほぼ皆マスク外して大声で騒いでる人もいる飲食店が感染経路の10%未満な時点でマスクが感染症対策として大きな影響があるとは考え難いです。

同じマスクなしでも家庭の方が圧倒的多いなら、共有物の利用とかの方が怪しいのだけど。酒類提供禁止とかやってた時に酒出してる店で絶対クラスター起きるとか言ってたDQNいたけど、結果どうでしたかね?それ起きてたら酒になんか入ってんぞ。フジロックとかもね。あの時大騒ぎしたDQNはどうせ反省もせず、また的外れなところを批判しているのでしょう。屋外で基本皆がステージ側向きながら歓声も最低限(上げても屋外なら希釈されて終わるだけな気がするけど)でクラスターの確率は低いのでは?

そもそも僕はシミュレーションは参考程度にしか考えません。シミュレーションを元に現実世界で実証して初めて根拠になると思っていて、日本が誇るおもしろ動画のスーパーコンピューターの動画でも確かに"マスクが正面の飛沫を減らす効果"はありそうに思えます。でも、あれ、横には増えてないか?と思ったり。会議で前と1~2m離しても横は60㎝とかの状態で声が聞き取りにくいから大声出すわけです。あれです、電車でナップザックは前に背負いましょうと言いますが、ドア脇というか、もはや出入り口の端っこに立ってる人が前に背負うとむしろ通行の邪魔では?的な。前に背負って後ろが座席との仕切りとの間に隙間あるともはや誰得状態。正解は横でしょうね。何のためのマナーかと言うと邪魔にならないように持ちましょう、という話なんですよ。状況を見極めないとマナーのせいでマイナス効果というお話。

そもそもね、同じ空気感染の結核は市販のマスクで防げないから隔離したりが必要になったりするわけで、空気感染するのにマスクで防ぐと言っても有意差出なくてもおかしくないと思いますが。大きい飛沫減っても口呼吸自体が増えるから、ネイチャー論文で「マスクしてる感染者の方がマスクしてない感染者よりうつした」のも納得できるわけで。更にマスクは免疫を下げるわけで、飛沫減らしても免疫による防壁を下げたり、聞こえにくいから大声になったり、しまいには聞こえないからずらしてそのまま大声とか。大半の実験は普段マスクつけてない免疫十分な人が実験のためにマスクをしての効果だったりします。半年、1年付け続けた免疫の状況でもないし、マスクで声が大きくなるのも考慮しないでしょう。ウイルス受け止めるとしても1日中防いだら繊維の表面埋まりそうだけど。無限ウイルスホイホイなんですかね?個人的にメリットをデメリットが打ち消して、プラマイゼロか、リスクがもともと少ないシーンではマイナスの方が大きいと思ってます。

現実を見ると色んな言い訳できるけど、マスクを徹底して、更に不織布を要求して波は大きくなって、地方と比べ大幅にマスク着用が減りだした東京では第8波は小さくなってる。日本全体では最多更新したらしいですが。海外でもマスクをしてた時がピークで外して激増してるわけでもない。国内旅行しても地方はすごいマスクを徹底してるのを感じるわけですが、それでも過去最高連発しました。

で、世界でマスク辞めたところは数え方の問題もあるからかもしれないけど、軒並み減ってたり。マスク徹底しても増えるとこがあるし、マスク辞めて減るとこもある。そうなると、あまり影響してないのでは?と考えるのが普通。で、感染した人が多い国は免疫が、とか言い出したけど、感染もワクチンも多い韓国が一時日本についで2位になってたし、感染始まった当初、日本は感染者割合少なかったのに海外ほど広がらなかった。もう、都合のいい解釈をその場その場で付けてるだけとしか思えませんが…。

なんにせよ、本当に効くのなら当然世界中で議論なく評価されますが、効いてる実感がないから止めるわけです。有意差あるという論文もないという論文もある時点で運ゲー、多くの制約や前提条件、使用法に左右されるわけで、そんな再現可能性が低く、ギャンブル的なものを命を守るための対策とかリスクの低減として主張するのは科学的と言えるのですかね?

そもそも論ですが、個人的には他人の行動に左右される時点で対策として下策だと思うのですが。例えば双方左側通行で衝突を防ぐと言っても、特によそ見しながら歩いてる人が最短距離で右に寄って見通しの悪い曲がり角を高速で曲がってきたりすると衝突は起きるわけです。そうなるとマージン取ってやや真ん中寄りで曲がるのが最善となる。普通に考えれば動線が交差するところで衝突は起きるので、交差する箇所を減らすのが衝突回避の基本なんでしょうけど(一部の駅では平気で左通行と右エスカレータで交差するけど)、矢印付けても理解せず守らずぶつかる人がいるのが現実。矢印どころか手すりで分けても反対に入ってくるわけで。"マスクを皆が正しく付ければ抑えられる"という仮定は"予習復習を皆がやって授業で寝なければ満点取れる"と同じような話で一部の人に当たり前の話でも、そんなことは世の中で起きないし、やっても駄目だったりもする。

歩きスマホ止めろの揶揄ポスターの前をポスターなんか目に入らずに歩きスマホで横切ったり、喫煙禁止の貼り紙の前で吸ってる人間がいるのが現実世界です。理解不能な頭バグった魑魅魍魎が跋扈してるのが現実。バグが埋まってる他人の行動を計算にいれるなら守らない人もいるのを考慮しないといけないし、守らない人がいると破綻するような対策を対策と僕は呼びません。それはプログラムで言うところのおまじない(書いとくと上手くいくことが多いらしい、と理解しないで書くコード)みたいなものだよね。それでもバグは起きるのですよ。

先日テレビでマスクを付け続けてるから外しても触る癖が…とか言ってたのですが、専門家、人は無意識で顔を触っていてそれが感染リスクになるからマスクでそれを防げる、と言うようなこと言ってた気がしますが、となるとマスクを習慣化してから外すと感染リスク上がってません?

誰のための対策?

一番あほくさいと思うのが、正義の人達が情熱を注いで子供ぶん殴ったり熱心にやってる対策が元気な人向けの対策ってことですよね。ぶっちゃけ命を守るためとか言いながら、お前ら元気なのに休まされたり、周り巻き込んで批判されるのが嫌なだけだろ…。

マスクに至ってはほぼ100%不織布着用と思われる高齢者施設や医療機関がずっとクラスターのトップですよ。重症化リスクある人に効かない対策なわけです。

そんで私権に制限かけてた飲食店での感染はアンケートベースだと10%にも満たない。もはややってる感を出すための為政者のための対策です。

最悪なのは真冬の屋外の電車の窓開け。低体温症というのをご存じでしょうか?体温が1度下がると免疫は30%落ちます。

記事にあるように高齢者はなりやすいですね。代謝が落ちると熱量を発生させにくくなるわけで。特に換気設備完備の電車では5分程度で完全に空気が入れ替わります。それに加えて都心の電車は2~3分でドアが開くものが多く、実際は3~4分あれば空気は入れ替わるでしょう。ホント安心の為だけですね。免疫が下がるという事はウイルスと戦える閾値が下がるわけで、日和見に近い状態になったら、通常かからないケースでも感染します。最強寒波の日に車内に0度くらいの北風がビュービュー吹き荒れて感染症対策って。

そういう場所を他に知ってますか?僕は業務用冷蔵庫に入った時に経験しました。換気設備ないのか総武線とか連結部のドアまで固定して換気して完全に冷蔵庫でした。寒くて風邪ひくわ!と思わない人は脳死してるのでは…。冬の雨の日に雨吹き込んでんのになんで我慢してんのよ。数十年後に子供や孫に話したら「風邪の予防で寒くするとか何考えてんの?」と言われるのが目に見えます。

そもそも、特に誰も話してない通勤電車とか開ける前から換気十分だからね。Twitterで最近CO2警察が現れてCO2濃度計の結果を載せて換気大事、とか窓開けの理由にしてるけど、ある程度混雑した車内で手に持って測ったらそれなりの数値出るのでは?なぜなら口に近い位置なら濃度高めに出てもおかしくないのでは、という話。知らんけど。調査機関の結果では混雑度関係ないのですが混雑してたらもっと開けろと主張したり。そういう正義の人が死者を増やしてると思うのですけどね。守る相手間違えてる。

他にも三越(伊勢丹じゃなかったです、伊勢丹さんすみません=>運営元一緒だけど)で一人でノーマスクで入ってきた人を追い回してマスク付けろと付きまとい、しまいには退店しろ、みたいな正義店員がいたみたいですが、ノーマスクで一人で歩いてたら別に飛沫振りまくわけでもないのに近づいて行ってマスク越しでも漏れる飛沫を振りまきながら追いかけるとか、リスク上げてるだけの正義マンですね。もはや、客のための対策でなく、対策を徹底させる店員の自己満足で、その裏に神経質なクレーマーの安心という。そんなことしながら、客に近寄ってセールストークするわけで、セールストークしたいから付けさせてんのか?という。飛沫出してない人に近づいて飛沫出しながら飛沫対策の注意するとかもはや思考の次元がねじれて宇宙小戦争勃発するという。

繰り返すけど、某空床の病床確保でぼろ儲けしながら飲食店をスケープゴートにしたり、対策検証しないで提言繰り返してた先生様が重傷化リスクの高い人とい合わせる可能性のある場所では引き続きマスクの着用を推奨、ってさ。マスクしてもその人達うつりやすいでしょ?調査しても全く活かさないのはこの数年見せつけられてますが、その対策してもうつる人の為にみんなでマスクするなら、重症化リスク高い人車両を作って、その人達が皆マスクで乗ればいい話では。屋外、もしくは広いトンネル空間のホームはリスクほぼないでしょ。痴漢防止に女性専用車両作んのに、命守るためには車両分けるのは無理で、真冬に窓開けして極寒の車内作るのが鉄道会社の安全安心なのでしょうか?そして、本人もかかりたくないなら体調が悪い時や人混みには出かけない、が基本でしょう。リスク犯して出かける人はかかったら仕方ないという人で覚悟してる人をおせっかいで守りたがる。結局、安全より安心というか責任取りたくないだけという。

マスクに関しても個人の判断になって実感として外してる高齢者の割合は結構高くて、守ろうとしてるのは押し付けで守られる側は付けたくない、という。まぁ、心肺機能も弱ってつらいでしょ。ぶっちゃけ、余命短い高齢者が孫に会えないままコロナにかからず健康に死ぬなら孫にうつされても会って幸せに死にたいと思ってもおかしくない。孫に不自由な生き方させたくない、と思っててもおかしくない。幸せな死に方をコロナにかからないこと、と勝手に定義して、守るためと世の中全体に制限をかけているのが現状の自治です。特に島根はひどい。

安心のために危険な環境を望む人達

しかし、未だにノーマスク見つけた瞬間に飛び跳ねるように逃げる人がいます。笑ってしまうのはその人達がスカスカのこちら側を避けてマスクの混雑地帯に逃げ込んだりします。しかも隙間防ぎたいのかウイルスをガードして受け止めてる想定のマスクを手で押さえながら。もはやヤベエ奴いるな、と苦笑してしまうわけですが。当然の話ですが、ノーマスクとマスク着用者ではマスク着用者の方が罹患してる可能性は高いです。特に上器官の症状が出やすいオミクロン以降は。なぜなら、ノーマスクは症状あればすぐわかるし、そもそもノーマスクは常にマスクはしないという人は限定的なので症状あればマスク付けるわけです。健康なノーマスクから逃げて咳してるマスクの群れに飛び込むとか、もはやリスク判断がおかしくなってるとしか…。

そして、そんな人に限って席が開くと我先に座ったりする。身体が触れるような距離で他人の横に座るのは問題なくて、1m前のノーマスクに拒絶反応を示すわけです。その隣の人、喉ゴロゴロやってるかも知れないし、苦しくて口で呼吸してるかも知れない。そっちの方がよっぽどリスクなわけです。また、あまり気付いてる人のいない事実として、座席の、特に端は非常に非衛生的です。寄りかかってる座席の壁見ると結構な確率で黒ずんだりしてるし、座席もそこだけ他より凹んで変色してることが多いです。つまり、顔や汚れた服をこすったりしてるわけで。場合によっては朝の電車で頬を付けて寝てるおっさんとかもいます。そんなところにくっついてマスクして感染対策完璧とか言われても…。エアロゾルは吐き出してから徐々に希釈するわけですが、吐き出してすぐが一番濃度高いわけで…。

NYでは市長が市民に対して「店に入るときはマスクを外して」と要請したそうです。危険な人物は身元を特定されないために大半がマスクをしています。感染しても我慢しながら小さい咳を隠してしてる人もいたり、実際は危険な人はマスクをしてる可能性が高いわけです。ノーマスクの人(というか、マスクないのがそのままの姿なのでノーっておかしいわけですが)は丸わかりなので、おかしなことをしたらリスクが高いので、そんなことする気がない人がほとんどでしょう。ちなみにNYCではマスクを外すようになって10%犯罪が減ったそうです。もはや日本ではマスクしてる人としてない人の写真を見せると子供はしてない人の方が怪しいと言ってしまうとか。マスクの不審者に安心してついて行ってしまうのだろうか…。

リスクと対策と

通常、リスクアセスメントではリスクを見積もり、優先順位を付け、順位の高いものに対してリスク低減措置を取ります。

5類に変更するというのはリスクが下がって、許容不可能なリスクから受け入れ可能なリスクに変わるという話です。感染リスクは変わらない、とかさ、危険性(毒性)の重症化リスクが下がってもフルフルの対策って、費用対効果では最悪です。毎年隕石落下の為に10兆の予算を積みますと言ったら、おそらくほぼ全ての人が怒るでしょう。安部元首相が銃殺されたからと言って毎日防弾チョッキを着る議員はいません。インフルの時を思い出してください。ワクチンも心配な人位で、かかったら休んで安静にしよう、程度だったのでは?インフルでは子供も結構死んでるのに。

対策のコストが高過ぎて何もしないよりダメージ大きかったら意味ないわけですよ。まぁ、それは既にこの数年の日本の実績ですが。

ぶっちゃけ、何もしないでも亡くなった可能性の高い人を守るために何十兆円も使うなら、二重サッシの支援徹底してヒートショック減らした方が死者減ると思うんだけど。日本の住宅の防寒酷すぎる。命守るとか言うなら樹脂の二重サッシの全額支援は最低限やって下さい。その方がコロナ対策より圧倒的に小さい予算規模で多くの人の命を守れます。

5類変更/脱マスクで感染者・死者は増えるか?

これはまず前提を置かないといけないですね。
5類にしたら、感染しても死因に関係しない場合は死者数にカウントしないと思われる。感染して交通事故や、がんで急変して入院時の検査で陽性でカウントされるようなことはなくなるでしょう。そうなれば当然減るのでは?となるし、カウントの仕方がそのままなら、最初は増えて徐々に減る、ではないかと思います。マスク生活で免疫が落ちてる上に交流が増える、さらにマスク生活でマスクを直すのが癖になって顔を触る頻度が増えてるとも聞きます。リスクはずっとマスクしてない人よりずっとしてて突然外した人の方が圧倒的に高いでしょうね。

とはいえ、2020とかの、普通にしてればなくなった人がマスク等抗菌抗ウイルスで亡くなるきっかけが減って(一部は寝たきりで)延命した分もだいぶ2022年には消費してるから、年間の死者はコロナがなかった場合の微増だった傾向と同水準になるのでは、と思います。死者の平均年齢的にも。

絶対増えると言う某インフルエンサーとか前提条件を置いてないので、どっちに転んでも当たりも外れもなくて的外れというかトンチンカンに思える。

優先順位を付けられない国民性

マスク要らないと言われないと外せない、と言ってた人達が屋外のマスクは原則不要と言われても外さずに、推奨をルールのように守る。マスクは付けるけど、交通量がそれなりにあっても信号無視したり、自転車レーンを逆走してみたり…。安全と安心の優先順位がおかしいです。リスクも重さを気にせず、リスク評価が小さくなっても対策は続けるべき、とか…。

屋外に関しては、寒い日に強く白い息を吐いてみたらマスクの無駄さがわかるでしょう。顔からすぐ前で上昇して消えます。向かい合った相手に白い息吐きかけるならかなり近い距離、それこそキスしそうな距離感じゃないと無理では?たばこの煙みたいに塵とか巻き込んで重くなるわけでもないし。そしてエアロゾルは一瞬で希釈されます。屋外のマスクとか無駄過ぎてマイナスしかないと思いますが。咳くしゃみも肘裏当てれば十分でしょ。

メリットとデメリット

基本的に環境的な対策(公共の場の窓開けなど)や社会的な対策(ユニバーサルマスクや濃厚接触者の待機、無症状者の入院など)は最小限で、社会にインパクトが大きい時のみに行うべきだと思っています。なぜなら、否応なしに巻き込まれる人が多いからで、しかも対策と言うのはメリットだけでなくデメリットもあって、多くの場合、身体が弱い人ほどデメリットに苦しまされるからです。

既に今回の流行り病はそんな段階じゃないし、そもそも守るべきは身体の弱い人です。身体の弱い人にうつる元を絶つ、と言ったって、それをすれ違う人や電車で乗り合わせる人にまで拡大して制限を課すのはおかしくて、そこにお金使うなら、本人や介護や医療などに携わる人は専用のタクシー等を無料で使えるようにするとか、混雑の中に入らなくて良いように制度整えたら?と言う感じだけど、もはや、通常の風邪とか色んな原因で悪化して(いわゆる風邪をこじらせて)亡くなってた人達が感染者を確認しやすい今回の流行り病にかかったまま亡くなるケースが多かった、つまり可視化されただけで、インフルのように子供まで亡くなったりするわけでもないので、どこまでやるか、ですよね。コミュニケーションを阻む対策が必要な病気の対策に力を入れても今度は心を病むわけで、何度も書きますが、それよりヒートショック防止に二重サッシで冬でも室内温かく保てるようにした方がよっぽどその人達は幸せに健康に生きられるのでは…。

また、「飛沫を飛ばさないよう電車では極力会話は控えて」、みたいなことを言うから、降りる時に声をかけずに体当たりする人が増えるわけで、体当たりされた方はふざけんな、と道を譲らないわけで。以前、ドアの脇の隙間に小さく邪魔にならないように避けてたら目の前で体当たりで降りようとする人とドア前で耐えようとする人と降りきってないのに乗ろうとする人のおしくらまんじゅうが始まったことがあって、思わず「バカじゃないの?」と言ってしまったんだけど、声掛けのない世界はギスギスするわけです。「降ります」の一言でまともな人は道を譲ってくれます。それでも立ちはだかるガーディアンは押しのけていいでしょう。体当たりはただの乱暴者ですが、声かけて立ちはだかる人を押しのけても故意に進路妨害されたのをどけてるだけです。なんにせよ、ドア前キープしたいにしても一回降りればいいのに、スマホ続けたいから動きたくないんでしょうね。あほくさ。

おわりに

と、なんか、ポイズンな世の中の愚痴みたいになりましたが、考え方の何かしらのヒントになれば幸いです。というかさ、日本って失敗を恐れ過ぎなんですよね。アメリカの語学学校で先生が良く言っていたのは「学びと言うのは失敗することだ」でした。挑戦して、間違えても良いから表現して伝える事。そして間違えから学んで思考パターンを改善していけばよいのです。やって駄目なら改善すればいい。間違えを認めないから今の日本みたいにちんぷんかんぷんな対策だらけになるわけです。試行錯誤してもいいけど、効果が薄いことはやめてけばいいし、そもそもリスクが対策のコストに見合わなくなったらやめればいい。成功例はその場でコピペはできても身に付きませんし、ただの偶然だったということもある。

そんでさ、自分の幸せのために生きようよ。
Jobsは言いました。

Your time is limited, so don't waste it living someone else's life.


他人に自分の考えを押し付ける正義マンの顔色をうかがうのでなく、自分と周りの大切な人が笑顔で幸せに生きる方法を考えませんか?そして、自分も赤の他人に何かを求めるのでなく、自分達だけでできる対策をして、幸せを最適化しましょう。流行り病にかからなければ幸せなわけじゃない。

失敗してもいい、幸せを求めても良いのです。
そのために考えて、ある程度理論武装すると安全ですね。
そのために僕は他人の過剰な不安には付き合わず、安全を守る行動を取ろうと思っています。